”風船乗りたちの夢”−2−

そんな「かぐや姫」と彼らのもとへ、県内各地から飛ぶことに
憧れる若者たちが集まって来たのは必然だったのでしょう
 

「柏崎気球苦楽部」の飛ぶことへの熱い想いに触れ・・・
新しい顔たちも自分たちの気球を作ることを決意しました
 

イギリスとアメリカには熱気球メーカーがありましたが
通関手続きがわからなくて・・・
なによりお金がなかったのです

数少ない資料と、読めない英文のカタログを手に
手さぐりの作製作業が始まりました

設計は意味の解らない微積分を繰り返し
球皮では、さほど根拠があるとは思えない素人考えの強度試験を繰り返しました

今思えばそれは安全を自らに言い聞かす
儀式だったのかもしれません

夜は遅くまでの家庭科レベルの
ミシン縫製でしたが、完成のころには
ミシンの修理までが出来るように
なっていました
 

困ったのは風船の命バーナーです
基本原理は解っていても
素材、部品、加工方法、
すべてが試行錯誤の連続でした

それぞれ独自の理論(?)を展開し
風船の数だけバーナーの種類が
ありました

最後には音の善し悪しで性能を
判断してました

たいへんでしたが楽しい日々でした
それは・・・
孤独な作業ではなかったためでしょう

一歩進むたびにそこには・・・
仲間たちの笑顔があり

気がつくとフライトを待つばかりの
新しい熱気球がありました